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バケツと状態変化

ぬいぬい圧搾

【版権 平面化】
提督が食堂に土産物を持って入ってきた場面から、この話は始まる。騒がしかった食堂はしんと静まり、視線が提督へ、痩せぎすで爬虫類に似た彼に向けられる。
土産物を確かめようと、風呂敷の置かれた大机に寄ってきた駆逐艦たち、無言の仏頂面でそれについてきた長門、野次馬根性丸出しの青葉、もし食べ物ならばいただこうと涎を垂らす赤城。大勢の艦娘たちを前に、彼は薄い唇を曲げ、もったいつけた笑みを浮かべた。興奮しているのか、普段の人間離れして白い顔が紅潮している。蛇が獲物を探すように瞳はきょろきょろと自在に動いて、止まり。また、動く。

「今日の土産物は……そうだな」

そして、彼と目が合ったのは、机の端で、訓練帰りの遅い夕食を口に運んでいた不知火だった。興味などない、我関せず、といった素振りを見せていた彼女だが、その実、他の駆逐艦たちと同様に土産物の正体に想いを馳せ、ちらちらと提督側の様子を伺っていたのだ。不知火は慌てて目をそらすも、提督は逃さなかった。

「不知火、風呂敷の中身をあててみろ」

提督のこけて浮き出たほほ骨に、蛍光灯の白い光がとまっている。

不知火は「不知火が、ですか」と小さく零すと、眉根を寄せ、すぐ戻す。食堂の全視線に串刺しにされて、彼女は居心地が悪かった。
「そんなの、分かるわけがないじゃないですか」
「適当でいいから」
「適当で、ですか?」
「じゃあ逆に、何だったら不知火は嬉しい?」

提督の質問に、不知火は手を口にあてて考える。それから、ゆっくりと答えた。

「果物、とか」
「おお、惜しい。正解は……」
その言葉と同時に、風呂敷がはらりと開かれる。
「不知火のジュースだ」

風呂敷に包まれていたのは、数本の瓶だった。白いラベルに筆で書かれた不知火の文字は堂々としていて、いかにも高そうな雰囲気を纏っている。中に入っている液体は、透き通った黄色だ。
土産物の瓶に集中した視線が、困惑の色を帯びた。不知火のジュース? 誰もがそう思った。僅かな沈黙の後、ある駆逐艦がぽつりと呟いた。

「不知火ちゃんから取れたジュース……?」

一瞬、固まる。それからすぐ、不知火は、ぼうっと火がついたように赤くなった。平静を装うとしていることが傍目から見ていてわかるほどに動揺し、ぱちぱちとせわしなくまばたきをして。早口でまくしたてる。

「いえ、違いますから。不知火はそんなジュースなど作れないですし。ラムネじゃああるまいし。そもそも不知火が進んでそんなことするわけないじゃないですか。きっと司令官がお手洗いに忍び込んで不知火の、その……」
そこまで言って、不知火は提督が笑っていることに気がついた。目を細めたうすら笑いだ。彼に胸の内が見透かされたようで、彼女はひどく不愉快になる。
「なに笑ってるんですか」
「いや、不知火がそんな反応してくれるとは思ってなかったから。悪いね、気分を害しちゃったみたいだから謝るよ、ぬいぬい」

その態度があまりにも人を食った、小馬鹿にしたものだったため、また不知火を逆なでした。
六駆の暁のように口にこそ出しはしないが、不知火もまた、子供扱いされることを嫌う部類の艦娘だった。加えて、衆目の中でこけにされたことが、彼女にとって我慢ならなかった。
苛立ちを露わにした彼女は、がたりと音を立てて立ち上がったかと思うと、つかつかと提督の方へ詰め寄っていく。鷹のような眼を細め、青筋を立て。普段よりも低く、よく通る声で、言った。

「ふざけないでいただけます?」
「ああ、ごめんって」
「それに、なんですかこの瓶は。一つの艦隊の総指揮官ともあろう者がこのような品のない行動を起こすなど、恥を知ってください」
ん?と語尾をあげた調子で呟いて、提督は片眉を上げた。
「品のない行動? いや確かに、不知火を皆の前でからかうのは品がなかったな。悪かったよ、ごめん」
今度は、提督は帽子をとって頭を下げた。彼は誠意を示しているつもりなのだろうが、肝心の箇所を理解していないようでもある。肩透かしを食らった気分に、不知火は、頭にのぼった血がすうっと降りていくのを感じた。
「いえ、不知火をからかったことを品がないというか……その、瓶の中身について……」
もどかしさに怒気を削がれ、彼女は半ば呆れつつあった。冷えた頭で、悪趣味で気持ち悪いとまで思う。
「これは、不知火のジュースだけど?」
「その……提督の趣味に口出ししたくはありませんが……確かに飲尿健康法というものも耳にしたことがありますけれど、自分のものでやっていただきたいというか……」
「は?」
今度は、提督が怪訝そうな顔をする。それから首を曲げて、続けた。

「不知火って、果物の品種のことを言ってるんだぞ? みかんの仲間で不知火ってのがあるんだが……知らないのか?」

二度目の硬直。そして、二度目の赤面。自分の甚だしく恥ずかしい勘違いに、降りた血が再沸騰して昇り、頭の先まで熱くなる。
不知火は俯いて、肩を震わせ。訓練帰りのために腰にぶら下げていた砲塔に、手をかけて。持ち上げて。

「え、ちょっと、不知火?」

たじろぐ提督を、きっと強く睨みつけ。持ち上げた鉄の塊を振りかぶり。

「不知火に何か落ち度でもッ!」

ガツンと、鈍い音が食堂に響いた。






不知火が夕張に捻じ曲がった砲塔を渡す工廠に、途切れた場面は繋がる。派手に歪んだ砲身を見て、どのように扱ったらこんなことになるのか、夕張は尋ねる。不知火は、不躾な輩を殴ったらこうなったのだと、平然とした態度を貫いていた。
「これは直すのに骨が折れるよ? 勘弁してほしいなぁ」
そう言った夕張は、どこか嬉しそうである。工廠の灯りは剥き出しの白熱灯のオレンジで、彼女の顔を明るく照らす。工廠に篭った熱気と汗くささも、夕張はまるで気にも留めていないようだった。
その一方で、不知火としてはもう少し清潔に、整理整頓してもいいのではないかと、そう思わずにはいられなかった。直してもらう手前、口にも態度にも出せやしないが。

積み上がった工具や鉄の塊に目をやり、もし地震が来たらと考えるだけでぞっとする。ふと見上げた天井には蜘蛛の巣が張っており、羽虫がその中でもがいている。嫌なものを見たと顔をしかめ、視線を下げた。
夕張は溌剌とした様子で不知火に話しかける。訓練帰りで疲れてる彼女にとって、その快活さは少し耳触りだった。
「こっから先を切り取って、新しくくっつけてみよっか。運が良ければすぐ直るし、切り取った方も何かに使えるかもだし」
「はあ」
「まあ、座って待っててよ」
それから、かん、かん、と、夕張がハンマーで砲身を叩く。熱されたそれは叩く度に歪み、ひしゃげ、潰れ、自在な形に整形されていく。金属音。鉄の臭い。取り巻く暖気。額からほほを伝った汗が、顎から首へと落ちていく。橙色。夕張の横顔を眺め、ぐにゃぐにゃに変形していく鉄の塊の動きをぼんやりと視界の端でとらえる。だんだん、瞼が重くなってくる。肩の力が抜ける。暗闇の天井が落ちて、そのまま意識を手放してしまいそう。
「眠そうだね」
手を動かしたまま、夕張が、爽やかに笑う。ほの暗いまどろみから浅く起き上がり、首を左右に振った。
「眠くなどないです。ただ」
「ただ?」
「少し、疲れました」
不知火は目を擦る。人が作業を頼んでおいて寝るなど、褒められたことではないだろう、起きろ、そう自分を叱りつけた。
ふと、先ほどお土産に貰ったジュースを、ここに持ってきていたことを思い出す。空になった水分補給のボトルに分けてもらったのだ。すっかり忘れていた。
これ幸い、眠気覚ましにと口をつけて、ごくごく喉を鳴らす。
「何飲んでるの?」
「提督から頂いた、お土産のジュースです。飲みますか?」
「気になる、ちょっとちょうだい」
口をつけてしまいましたが、と不知火。気にしないよ、と夕張。不知火からボトルを受け取ると、面白そうだと目を輝かせて、なんの躊躇もなく口に含む。橙色の光が、濡れた唇に滲んだ。
「あ、普通に美味しい」
「全部飲んでも構いませんよ。不知火は先ほど、十分に飲みましたし」

事実、提督を張り倒した食堂で、不知火は一瓶まるっと飲み干していた。訓練後の疲弊してカラカラの身体に甘い飲み物が染み渡るのは心地よく、なおかつ柑橘系特有の爽やかな後味も、大いに気に入ったため、だ。

夕張は遠慮がちに不知火の顔を伺って、照れ臭そうに目を細めた。

「それじゃあ、いただいちゃおうかな。わりと喉も渇いてたし」
それから、すぐにボトルは空になった。惚れ惚れするくらいの良い飲みっぷりだと、不知火はそんな感想を抱いた。
「ところで、これは何のジュースなの?」
「不知火を絞ったものですね」
「……へえ」
夕張の顔が、不自然にひきつった。ああ、分かってないなと不知火は察知する。説明しようかとも思ったけれど、面倒くさくなりそうだったので、やめた。他の誰かが言うだろう。彼女らしからぬ、無責任な態度だった。
眠かった。頭が重たく、今にも倒れてしまいそう。座ったまま、一歩も動きたくない。棒になった足が、ぱんぱんになった腕が、ばきばきになった身体が、寝ろと叫んでる。押し上げた瞼がぶるぶる震えて、次にまばたきをしたらそのまま目を開けることが出来ない気がした。

「寝てていいよ」
再び作業を始めた夕張が、優しく言った。
「まだ飲みたかったら、食堂にあるかもしれませんから……」
瞼が、閉じる。
……そういえば、赤城さんが残った瓶を全部持っていってしまった気もする。が、訂正するのも億劫だ。
不知火の意識は、燃え尽きた蝋燭の灯のように、ふっと消えた。






不知火が起き上がった場面に、この話は収束する。ジュースを飲みすぎたせいで、こんな夜中であるにも関わらず我慢できなくなって、用を足しに行こうと、不知火は目を覚ましたのだった。
工廠の暖気は残暑の夜のうすら寒さに侵されて、冷えた水のような空気に変わり、あたりを漂っている。高窓から差し込む月の光はくすんだ銀色で、無機質な部屋の暗がりをぽつり、ぽつりと照らす。鉄くずが鈍く光る。その中に、椅子に座ったまま身じろぎ一つせず、穏やかに寝入っている不知火の姿があった。

なんの前触れもなしに、びくりと、鍛えあげられた彼女の足の筋肉が震えた。次に、力が抜けてうな垂れるように伏せていた頭が、ぐんと前を向く。最後に、ぱちりと目が開かれて、不知火の意識は浮かび上がった。
ここはどこだ。ああ、そうか、工廠か。電気が消えてるのか。それなら、夕張は。なるほど、まだ作業をしてるのか。部屋の隅の電灯だけまだついていて、そこに人影が見える。気を遣ってくれて、部屋の電気を落としてくれたのだろう。今は何時頃だ。分からないが、夜はもう更けているに違いない。
灰黒の鋼に囲まれた闇の帳の中、不知火は自問自答を数度繰り返し、頭の中を整理した。それから、入浴も歯磨きもまだだったことを思い出し、お手洗いに行って、部屋に帰ったら済ませてしまおうと、これからの行動を決めた。
さて、それではいざ椅子から立ち上がろうと、身体に力を込めて。そこでようやく、自分が後ろ手に椅子に縛り付けられていることに気がついた。

「は?」

ぎしりと、そんな音を立ててロープが軋む。背もたれに固く結びつけられていて、引っ張ってもびくともしない。座ったままお尻の後ろで組んだ手を、上下させることすらできないのだ。まだ残っていた眠気の欠片が吹っ飛んだ。これは寝ぼけて見ている夢などではない、現実だ。身体を揺らして、なんとか抜け出せないかと悪戦苦闘するも、そもそも椅子自体が固定されて動かないようで、難しい。ぎりりと歯ぎしりをし、無駄だと分かっていながらも、必死にもがく。

「あ、不知火。起きたんだ」

声が、部屋の隅から聞こえた。夕張だ。不知火が動いて立てた音に気がついたらしい。今電気をつけるね、と暗がりから呼びかけてくる。
そうか、始めから夕張に助けを求めればよかったのか、寝起きで頭が回らなかった。何はともあれ、助かった。自嘲し、ふうと息を吐き出すと、全身から力が抜けた。

そして、真夜中の工廠に明かりが灯る。ほの暗い白い光から、鮮やかに色づいて、爛れた橙色へ。光が強くなるにつれ、ブラウン管テレビの電源を入れたときのように、部屋の輪郭がはっきりとしてくる。光に寄せられた大きな蛾がばたばたと剥き出しの電球に体当たりし、力尽きて地面に落ちてきた。
それにつられて天井を見上げた不知火は、目を大きく開いた。

「え……」

言葉を失った彼女の口から、そんな声が漏れる。

そこにあったのは、円盤だった。自分の座ってる椅子の背もたれが高く伸び、その先に、黒光りするそれが括り付けられている。身体測定の時に使用する座高計を思い出したが、あいにく不知火の記憶では、座高計にあんな大きな円盤は使わない。
「これは、一体……」
「作れそうだったから、作ってみたのよ」
かつかつと近寄ってきた夕張の首には、バインダーがぶら下がっている。不知火が困惑の色を帯びた視線を彼女に投げると、肩をすくめてにへらと笑ってみせた。データを取るのよ、と夕張は言う。
「身体測定の座高計を作ったこともあるし、簡単だったわ」
「夕張、これは……」
「これって、どれ?」
「ええと……とりあえず、何故か不知火は拘束されているので、解いて頂きたいです」
「ええと、とりあえず」夕張は、不知火の言ったことを鸚鵡返しにして、再び意地悪く口角を持ち上げる。不知火の脳裏に、提督の顔がふと浮かんだ。掻き消すように、ぶんぶんと首を振って、前に立つ彼女を見る。夕張は不知火に顔を近づけて、人差し指をぴんと立てた。
「まず、拘束は解けない。いや、解かないって言った方が正しいかな」
「……それは、どういう」
「まあ待ってよ、全部教えるから。質問は最後に纏めてするのが効率的だって、不知火もそう思うでしょ? それに」
私は人に説明するのが好きなの、と夕張は笑った。橙の明かりを背に受け、夕張の顔には深い影が出来ている。ハイライトのない瞳は不知火の顔を見据え、動かない。昼間とはまるで別の顔を貼り付けている夕張に、不知火は底知れない不気味さを抱いた。
「縄を解かないのは、単純に不知火が逃げ出しちゃうから」だってそうでしょ、と彼女は言う。「不知火が喜んで圧搾機にかけられるようには思えないし」
「あ、圧搾機?」
飛び出してきた物騒な単語に、不知火はあ然とする。圧搾機とは、あの圧搾をする機械のことだろうか。では、あの圧搾とは果物やゴマから果汁を搾り取る圧搾だろうか。
「そう、圧搾機」夕張は頷いて、付け加える。「搾汁機とも言う」
「さくじゅうき」そっくりそのまま返す。どういう漢字を書くのか、予想がついた。
「不知火は圧搾機にかけられたい?」
「そんなわけ、ないじゃないですか」

そう吐き捨てると、夕張は立てていた人差し指を、不知火に突きつける。

「でしょ? だから、縄は解かない」
「待ってください。不知火を椅子に縛り付けたのは、夕張だと?」
「話の流れからも分かるように、その通りだよ」
「……そ、それでは。不知火をこれから圧搾機にかけると?」

言葉の端々が、震えた。

「そう! さすが、理解が早くて助かるよ」
夕張の人差し指の横に、中指が立つ。これが二つ目の説明だと言わんばかりに。
「これは座高計とほぼ同じ仕組みで。ただ違うのが、普通の座高計よりもずっと丈夫に作ってあるから、暴れてもちょっとやそっとじゃ壊れないこと。それから、上を見て。鉄板があるよね? これは、私がハンドルを回すと下がるんだけど……言い換えれば、ハンドルを回せる限り、好きなだけ下げられるのよ」
唾を飛ばして、得意げに話す夕張。彼女は、両の手のひらを開き、ゆっくりと胸の前で揃える。
「それと! 椅子の座る部分の横縁に、枠を立てておいたから、そこから実がはみ出る心配もしなくて大丈夫」
不知火が反射的に目をやると、確かに座面を縁取るように、10cmほどの板が立てられている。……それは逆に、10cm以下まで鉄塊は降りてくるだろうこと、不知火がそこまで押し潰されるだろうことを示していた。
「搾り取った液体は、座面に開けた細かい穴から漏斗を通って、瓶に注がれる、たったこれだけの簡単な仕組みだから、すぐ作れちゃった」
「しぼり、とる」 不知火は、頭の中に残った言葉を、カセットテープのように反芻する。「なにを?」と聞きつつ、彼女はその答えを予想していた。頭は妙に冷静で、先ほど提督の前で誰かの放った『不知火ちゃんから取れたジュース?』なんて台詞を思い出している。
「不知火から、ジュースを、搾り取る」
あけすけに言った夕張の目は、据わっている。本気だと十二分に伝わった。騒ぐ心臓を抑えて、不知火は考える。おそらく、夕張は『果物の不知火』を『艦娘の不知火』のことだと取り違えてる。だから、こんな頓狂な行為に出てるに違いない。そうでもなければ。そうでもなければ。そこから先は出てこない。ただならぬ様子の夕張に気圧されて、いつの間にか背中は汗でぐっしょりと湿っていた。得体の知れない恐怖が足元に絡みついて、離れない。それでも、不知火は必死に喉を振り絞って、夕張に説得を試みる。
「夕張は、何か勘違いしてるみたいですが。不知火とは、みかんの品種の一つで」
「知ってるよ。ぽんかんとみかんを交配してできたものを不知火って言うんだよね?」
遮って答えた夕張は、そのくらい常識でしょう、とまでも言いたそうだった。愕然としたのは不知火だ。
「それ、では、夕張は、なぜ」
「同じものが出来るかもしれないじゃん?」
「……本気で言ってるんですか?」
「半分くらいは」
「なら」深く息を吸い込むと、心がぴりぴりした。限界だった。胸の中にあるものを、吐き出す。

「不知火は、夕張のことを軽蔑します。そんな、非現実な妄想に不知火を付き合わせて、何が楽しいんですか。……本当に、どうかしてる!」
不知火が叫んでも、夕張は余裕そうな態度を崩さない。彼女は両肩を上げて返す。
「まあ私も、絶対出来るとは思ってないよ? でも、鋼材や弾薬から艦娘が出来るくらいだし、搾ったら美味しいジュースが出ても不思議じゃないと思うのよねぇ。身体の一部が吹き飛んでも、修復材につければ再生するし。何があってもおかしくないから、試してみたいなって好奇心かな」
そうそう、搾ったあとはちゃんと修復剤で戻してあげるから安心してね、と彼女は付け加えた。
「そんな……」

激情を吐き出して空洞になった不知火の心の内に、ゼリー状の憂鬱とでも言うべき、重たく、密度をもったものが広がって、それが頭をも占領していく。黒い感情が、内側に充満していく。どろりと湿って粘ついたものにも感じられたが、乾燥して水分のない干からびた思いにも感じられた。頭に浮かんだ単語を紡ぐと、それがそのままぽろぽろと口から溢れた。

「そんな……ことって……なぜ、不知火が……何か……落ち度でも、あったと……」

絶望の表情を見せる不知火に、夕張は人差し指を近づける。彼女の鼻先をこんと小突いて、冷たく言い放った。

「提督を殴った罰だと思って諦めなよ、不知火」

「……あ」

「それじゃ、後で感想聞かせてね」



目眩に酔う。陽炎型駆逐艦二番艦、不知火を主人公とした、話の終わりが近づいてきた。
白熱灯の不気味なほど鮮やかな橙色は窓から溢れた夜闇と混ざり、夕暮れ時に似た光となって工廠の中に垂れている。もう、じきに全て終わり、灯された電気は消え、なにもかもが暗闇に溶けるのだろうと、そんな予感があった。
ぎい、ぎいと、首つり台の紐を吊り上げるかのごとく、ハンドルが軋みながら回り、鉄の塊がゆっくりと不知火の頭上に降りてくる。

不知火は、ぽつりと呟いた。

「司令官、見てるんでしょう?」
平時の不知火からは想像がつかぬほど、その声はか細く、震えていた。戦艦クラスの眼光とまで揶揄された彼女の瞳は涙に揺れ、部屋の鈍いオレンジ色を湛えている。彼女は今、なんの変哲もない、年端のいかないいたいけな少女と成り果てた。
「不知火の落ち度です、申し訳ありません、許してください……」
工廠に響く返事はなく、かわりに機械が、ぎい、と鳴く。

その時がゆっくりと迫ってくるのが、悪趣味だった。望みをことごとくへし折り、じっくりと後悔させて、反省させる。そんな意図がひしひしと伝わってくる。全身に、痛いほど。不知火は唾を飲んで、喉を隆起させる。
もう、どうしようもない。

素直に反省して受け止めようという、諦めにも似た潔さが、不知火の中に、確かにあった。自分の落ち度を、弱さを認めて、二度と同じ過ちを犯さないように胸に刻もうと。自分が失敗をしておいて、与えられる処罰に文句を言うことはみっともないと。不知火の取り柄である切り替えの早さは、ここでも生きようとしていた。
けれども。幾度となく死線を乗り越えてきたにも関わらず。どんな傷を負うことさえも厭わなかったにも関わらず。不知火は、怖くて、仕方がなかった。
目を閉じて、潰されるのを大人しく、黙って待とうと、つとめようとした。自分がこれからどうなるかは、具体的に想像しない。 だって、怖いから。

全部、不知火が悪い。その通りだ。上官に手をあげるなぞ、何事だ。彼は鎮守府の長だろう。戦果だって残してる、采配だって文句無しだ。なのに、不知火は、何をやっているんだ。一時の感情に揺さぶられて。司令官なら許してくれると思った、信頼してた。そんな台詞は甘えた言い訳でしかないなんて、分かってる。司令官は、優しいから。不知火の勘違いだったのかもしれないけれど。良くしてくれると、思っていたから……それでも、それでも、だ。
身体の内側が、かあっと沸騰する。頭の中が白んで熱くなって、何も考えられなくなって、自制がきかなくなって。喉から言葉が飛び出していく。

「そ、それでも、こんな仕打ちはあんまりじゃないですか! だって、そもそも、司令官が、あんな……」

それから、はっと我に返った彼女は顔を真っ青にして、うわごとのようにぶつぶつと、何度も、何度も呟くのだ。

「ち、違うんです……ごめんなさい、ごめんなさい……許して、許してください……」

震えは、隠し切れないほどに大きくなっていた。膨らみに膨らんだ後悔は自責の念へと姿を変えて、不知火を押し潰そうとのしかかる。こんなに、これほどまでに自分は弱かったのか。毒々しい橙色の中、不知火の足元から伸びたどす黒い影がどろどろと、沼のように広がって、彼女を飲み込んでいく。自分に対する失望や落胆、幻滅。阻喪とも虚脱ともつかない。後悔に震え、来るべき結末に怯え。見開かれた目の中、瞳はせわしなく動き回って、ひどい吐き気に襲われ、窒息するかのように苦しい。水もないのに溺れている。
そして、こつりと、不知火の頭に硬いものが触れる。鉄板が降りてきたのだと、いよいよこれから潰されるのだと、すぐに理解した。

「助けて……」

そんなに腰を曲げると上手く潰れないからと、胴も背もたれに括り付ける形で縛り上げられた。背筋を伸ばしたまま、身動きが取れない。あとはもう、なされるがまま。

「やだ、いやだ……」

肉板なんかに、なりたくない。堰を切って溢れた感情が止まらない。呼吸が荒くなる。膨れ上がった激情に胸が内側から圧迫されるようで、上手く息が吸えない。
恐怖に押し出されて生暖かい液体が股間から漏れ、スパッツに染みを作り、座面の穴を通って、落ちる。失禁。ずっと我慢していた為に、止まらない。染みがどんどん大きくなって、ツンと刺すような臭いが鼻に届いても、まだ。スパッツが吸いきれなくなり、黄色い水滴がその表面を伝うようになって。それから、ようやく止まった。

まだ搾ってないのに、こんなに漏らして。情けないですね。
すぐ耳元で、囁くような声がした。

首だけ動かして、振り返る。誰もいない。

幻聴か。自分に指をさされたのだと、そんな気がした。なりたくない最低の自分になってしまったのだと。ハンドルが、ぎいと軋む。その通りだと肯定しているようだった。軟弱なおまえは、自前の不甲斐なさのせいで、これから潰されるのだと、自分の声は続く。見つめていた柑子色が視界を塗りつぶして、全てが橙に染まり、何も見えない。
頭のてっぺんに加わる力はだんだんと大きくなり、目眩も酷くなる。助けてくれませんか、なんでも言うことをききますから、と、紋切りの台詞を傍の夕張に向かって吐いた。媚びるような眼の端からは涙が溢れ、えんじ色に染まった頬を伝って服に落ちる。返事はなかった。
背筋は伸ばされたまま、圧力が上から被さってくる。不知火は舌を出しながら、呻く。声というよりも、音が口からこぼれる。唾も次々と流れ出た。それらは銀色の線になって、スカートに円いしみをいくつも作った。必死に揺すっても縛られた手は解けずに、涙も、鼻水も、涎も垂らしたまま、拭うことができない。
頭の先から押し潰される感覚というのは、不知火は体験した事がなかった。したいとも思わなかった。ただ、万力でスチール缶を潰したことならあった。整った形の缶に、皺が寄り、折り目がついて、だんだんと背が低くなる。今の不知火の状況と、ぴったりと重なる。彼女の胴が、少しずつひしゃげて変形する。
ひゅうと、息が漏れる。口を開いていることが辛くなって、閉じた。そうしたら、顎が胴と首の付け根にひっついた。減った長さの分だけ、身体の直径は増すようだった。事実、圧縮が進むにつれて、不知火の身体は大きく波打ち、山、谷、山、谷、と折り重なっていく。育ちかけの慎ましい胸が飛び出し、鳩尾の部分と大きな段差になる。すぐ下の鍛え上げられた腹部も、肉が寄ったように膨らんだ。胸部と腹部とで留めていたボタンが弾けると、シャツはひだの谷間に消えて、薄緑色の下着が露わになる。その布地ももはや伸びきって、今にもはちきれてしまいそうだ。
ベルトの金具が固く引っかかっていたため、締めあげられる形になって、腰回りの直径は変わらない。一方で鉛色のスカートはぎゅうぎゅう詰めの腿肉、尻肉に押されてめくれ上がり、シャツと同じようにひだの隙間に隠れてしまった。それからすぐに、スパッツが音をあげた。破れた隙間から肉がはみ出して、そこからびりりという軽快な音とともに伝線する。しなやかな筋肉と、すこしの脂肪とで作られた乳白色の生足は、潰れて五平餅のような姿になっていた。上と色を揃えた薄緑のショーツは、押し広げられた大腿と尻たぶの間に埋まりかけている。

自らが晒す醜態を恥じる余裕すら、不知火には残されていなかった。渦巻く後悔と自責の念に飲み込まれて、上手に息ができない。どうして。助けて。許して。言おうにも、口は閉じたまま頬と一緒に潰れてろくに喋れず、うー、うー、とくぐもった唸り声だけが工廠に吐き出される。そうやってぐずることしかできない。

ぎりり、とハンドルの鳴き声が濁る頃には、彼女の座高は、既に最初の半分よりも短くなっていた。膝から下や腕が圧縮されず、元の姿を保っているのがかえって惨めだった。ばたばたと跳ねあがる足は空を切り、かと思えば、ぶらりと力なく垂れさがる。その様子が、電池の切れかけた玩具を思わせる。頭は下半分が胴に埋まって、残った上半分は円形に潰れかけている。そこに張り付いた目だけが、かつての不知火の原型をとどめていた。……その目に浮かぶ瞳も、既に光を失くし、ぽっかりと穴が開いたような虚ろなものに変わり果てていたが。
遠巻きに見れば、肌色のアコーディオンと喩えられるだろうか。そんな歪な肉塊が、今の不知火の姿だった。

目立った反応が消えて静かになってからも圧縮は進み、ようやく圧搾の段階へと差し掛かる。広がった身体は椅子の座面の縁にぶつかるとそこで動きを止め、そのままの形で固定された。製作者の思惑通りに、圧搾機からはみ出すほど無駄に大きくならず、密度が上がる。より多く搾り取るための工夫と言えた。不知火の身体は、立った状態のまま踏みつけられたアルミ缶のように、雑な同心円が縦に重なった容貌に変化して、そのまま、身長が、厚さが、無くなっていった。座面横に立てられた板よりも薄くなって、もう彼女の姿は外から見えない。

消しゴムのかすのように辛うじて残った意識の中で、不知火はぎしりと軋む音を聞いた。ハンドルが回る音なのか、身体があげた断末魔なのか、彼女自身はっきりしなかった。ただ、ばきり堤防が吹き飛んで、自分の中にある自分を構成するものが濁流のように出て行くのは、分かった。事実、文字通り身体と穴という穴から、体液が滲み出しているのだった。止まらない小便をしているような、お尻の穴から、口から、身体の水分を限界まで吐き出しているような、そんな感覚。目からは涙が、舌からは唾が、絞り上げられていく。身体の中に溜まっていた湖が、氾濫して出口に殺到する。排泄欲を満たす歪な快感と、無理矢理に無いもの吐き出す窒息に似た苦痛。不知火の心は、それに飲み込まれてしまった。もがけど、すがる藁すら見当たらない。
圧搾機にかけられて果汁を搾り取られるフルーツと同じように、噴き出した体液が薄い肉板となった身体からじゅわじゅわと溢れて、表面を伝い、流れ落ちていく。少し茶の帯びた黄色。鼻をつまみたくなるほど酷い悪臭が、不知火の潰れた鼻に届いた。
意識があるのか無いのかも曖昧な狭間で、不知火の中には自分の身体が乾いた干物のようになっていく、大きな喪失感があった。けれど、肩の荷が下りたような放心も、それに釣り合うくらい与えられた気がした。

それっきり、彼女は何も考えない。不知火は不知火であることを放棄して、中身を搾り取られた残りかすに変わり果てたのだ。

厚さ5cmほどの肉の円盤が、あとには残されているだけだった。





すっかり重くなったハンドルを、夕張が回す。すると、もう際立った反応もなかった不知火の足や、腕が……圧搾機から不格好にはみ出したその部分が、暴れるように激しく動いた。

「うわ、びっくりした」

突然の反応に、夕張は思わず声をあげた。それから、あわててペンを握り、バインダーに挟んだ紙へ、その様子の一部始終を記録する。溺れた人間は、一度意識を失って、また突然我に返ったようにもがき、終末を迎える。それと似ている、と思った。あるいは、殺虫剤をかけられて、もがき苦しむ昆虫か。
同時に、ぼたぼたと、座面から液体が流れ落ちてくる。先ほど漏らした小便の残りだったり、溢れた涙や鼻水や汗、無理やり絞り出された愛液、腸液、などといった、不知火の体液全てを混ぜ合わせたカクテルだった。……そんな洒脱な表現など似合わない、汚水と言って差し支えないほどひどい臭いだったが。

薄く茶がかかって黄ばんだその液体は、みるみるうちにボトルをいっぱいまで満たした。それでもまだまだ湧き出てくる様子で、溢れてしまう。夕張は何か受け皿になるものはと辺りを見回して、そんなものは無いと諦める。失敗したと、肩を落としてため息を吐いた。

結局、用意したボトルの倍は流れ出た。目測の為、正確な分量は分からないが。次に生かそうと、夕張は前向きに考えることにする。掃除は明日の不知火にまかせればいい。広がった水たまりを眺めて、夕張は頭の後ろを掻く。
これで終わりにしようかとも彼女は思ったが、せっかくここまで来たなら限界まで搾り取らないと、何となく損な気がした。加えて、本当にこれが限界なのかと、持ち前の好奇心が疑い始める。
だから、夕張はハンドルを力いっぱい、軽巡艦に秘められた力を出し切るつもりで、ぎゅうと回してやった。もう限界まで締め切った圧搾機が悲鳴を上げると、同時に不知火の足と腕が痙攣し、ぴんと張る。どこに蓄えていたのか、あれほど出したのにまだ、ぽたぽたと、彼女の中身が漏れ出た。なんだ、やっぱりまだ出るじゃないか。夕張は笑った。

それをあと3度繰り返したところで、もう、ぽたぽたと垂れる水滴さえも見られなくなった。

夕張は満足げな表情を作ると、ハンドルを締め上げる方向とは逆に、ぐるぐると回す。するすると鉄塊が上がっていき、その下から肉の板が姿を現した。言うまでもなく、不知火のなれの果てだった。

お腹と背中がひっつく、という比喩表現があるが、それなら今の彼女は、頭とお尻がひっつく、などと表すべきだろうか。80cmほどだった座高は3cmと少しにまで縮み、逆に胴回り——今は円周と言うべきだろう長さ——は、150cm、つまり直径50cmの円のそれと同等にまで大きくなっていた。
……言い換えれば、不知火の胴体と頭は潰されて、厚さ約3cm、直径50cmの大きな円盤になっていた。

水気を失って光沢が消えた髪が、円盤の上面に広がっている。頭が延ばされて、変形したのだ。探せば、水色の髪留めの残骸らしきものが見つかるだろう。
夕張が、不知火の手首を縛っていた縄を解いた。彼女は、嬉しそうに呟く。

「搾りとったジュースは飲めたものじゃなさそうだけど」

潰されずに済んだ腕から先と、膝下がだらりと力なく垂れ下がり、それがちょうど椅子の四脚と重なった。軽く開かれた手のひらが、小さく震えたような気がする。夕張は、言葉を続けた。

「これが、あの不知火だとは思えないわね」

何も知らない者が見れば、おそらく元が艦娘だったことすら分からないだろう。手袋や、靴や、特徴的な髪色等から、不知火を連想するやもしれないが、その程度だ。円盤に四肢をくっつけた、モダンアートの産物だとか、悪趣味なオブジェだとか、そう思われることの方が多いに違いない。
夕張の手が、不知火だった円盤に伸びる。叩くと、コンコンと、軽く、硬い音が返ってきた。すうっと指の腹でなぞると、硬貨のような滑らかな固さがある。なるほど、艦娘を潰すとこうなるのか。感心した様子で、伸ばした手で肉板の端を掴み、ぐいと引っ張る形で持ち上げた。
想像よりもずっと軽い。まず、そう思った。水分を搾ると、これほど軽くなるのか。後ではかりに載せて計測しなければ。夕張は、そんな義務感にかられる。
それから、円盤の裏面に目をやる。肌色一色に塗りつぶされているようだと、一見してそう感じた。ところが、よく観察すると、尻たぶと腿肉が押し合いへし合い引っ付いている境界線、黒く光艶を帯びたスパッツの切れ端、紐のように伸びた薄緑色のショーツが認められた。柔らかいのだろうかと、見当をつけて触ってみるも、表面と同様にツルツルして、固い。ギチギチに詰められた肉は隙間を余すところなく全て埋め尽くして、結果、このように金属に似た質感になったのだと、夕張は推測し、軽い感動を覚えた。
ショーツの上からでも、歪な円が、ぽつぽつ、ぽつと、並んでいるのがわかった。被さる尻たぶだった部分を力づくでぐいとどかし、ショーツを横に寄せる。ここも、詳しく観察するのだ。汚い、などと躊躇しない。大きさはまちまちだが、どれも悲鳴をあげるようにぐっぽりと口を開けている。成る程、やはり主にここの穴々から水分を吐き出したのだろう。一人納得した様子で、夕張は頷いた。かりかりと爪を立てようと試みると、爪先に軽く段差が引っかかる感触があった。夕張は手元の紙にペンを走らせ、それから、ずらしたショーツを元の位置に戻した。

「写真とか撮れると楽なんだけどなぁ」

夕張はそうひとりごちて、かつて不知火だった物体を抱え、立ち上がる。
搾り取られ、カラカラのせんべいのようになってしまった不知火から、ぽたりと一滴、しずくが落ちた。

それが涙なのか、汗なのか、唾液なのか。はたまた、それ以外の何かなのか。知る由もない。


工廠の明かりがばつりと落ち、静かな闇が辺りに充満する。かくして、この話は、結末を迎えたのだった。




そして、次の話へと、物語は繋がっていく。
顔皮を切り裂いて、傲慢にも光が目蓋の裏側に侵入してくる。朝だと、不知火は気がついた。

跳ね起きる。

それからすぐ、鋭い目を大きく開いて、辺りをキョロキョロと見回す。ここは、どこだ。工廠ではないか。拘束されてないか。身体が重たい。案の定だ。背後を敵にとられた時のように焦り、全身から汗が噴き出す。
すぐそばに、陽炎がいた。
「お、おはよう、不知火」
……成る程、次は姉か。自分に親しい者にそんなことをさせるなど、容赦ないことこの上ない。身体が強張る。今度は何だ。何をされるんだ。
「ひどくうなされてたから、起こそうと思ったんだけど……大丈夫?」
「……え」
返事をするのに、暫く時間がかかった。おずおずと周囲を見回すと、見慣れた天井や壁がそこにあった。拘束されてると思った身体には、柔らかな布団が優しく乗せられている。
「ゆ、夢……だったんですか」誰に尋ねるわけでもなく、そう呟いた。へなへなと、肩から力が抜ける。それから、頬が緩む。
そうだ、夢だったのだ。考えてみれば当たり前だ。いくらなんでも、司令官や夕張が、不知火にそんなむごい仕打ちをするわけがない。分かりきったことじゃないか。それなのに怯えて、馬鹿みたいだ。自分が司令官を殴った負い目から、あんな夢を見てしまったのだ。言ってしまえば、不知火の落ち度だ。
「ど、どうしたの、不知火。今度は急に笑っちゃって」
「ふふ……いえ、なんでもないわ、陽炎。朝食に行きましょう?」
気味悪そうな陽炎の反応も、大して気にならない。穏やかな安堵が胸いっぱいに広がって、心地よい。洋服棚から着替えを出すと、袖を通していく。
「まあ、不知火が何でもないならいいんだけど……昨日、ずいぶん遅かったみたいだからさ。心配しちゃって」
陽炎の言葉に、不知火の笑顔は固まった。
「……陽炎。今、なんと?」
「不知火は寝てたから覚えてないのかな? 夜遅くに、夕張さんが不知火を背負ってきてくれたの。……何かあったの?」
背筋につららを押し付けられた気分だった。表情が歪むのを必死に抑えて、不知火は答えた。
「いえ、なにもありませんでしたよ」



夢だ、夢だったんだと、頭にこびりついた嫌な想像を消し去ろうと、ぶつぶつ呟き、不知火は廊下を歩く。陽炎は苦笑いをしながら、その後についていく。明らかに不知火と距離を置いていた。
通りすがった艦娘たちの視線が、ことごとく不知火に向けられる。気がする。疚しさのせいで見られていると感じているだけなのか、実際に注目されているのか、判断できない。
前方に、電が立っている。耳を澄ますと「どの面ひっさげて表に出てきたのです」なんて言葉が聞こえた、気がする。目を細めると、電のすぐ横にいた暁が「ひぃ」と情けない声をあげて、腰を抜かした。側にいた響がひゅうと口笛を吹く。
不知火が、貴女たちに何をしたというのだ。 そう思うと、堪えられなかった。

「陽炎、先に食堂に行っててください」

そう陽炎に伝えるや否や、不知火は走り出した。何処に行くの、と背後で陽炎が叫ぶ。すぐに不知火も行きますから、と答えた。聞こえたかは分からない。

向かった先は、執務室だ。

扉の前に辿り着くと、「失礼します」と小さく言って、ノックと同時に部屋へ飛び込んだ。勢いよく開いたドアの音に、中にいた者たちの目線が不知火に注がれる。花札に興じていた曙や潮に長門、新聞を片手に固まる青葉。痩身の司令官は、その奥の執務机に座っていた。 不知火はまっすぐに彼の正面へ向かう。
「おはよう、不知火。どうしたんだ、朝っぱらから息を切らして」
落ち着いた声で、司令官は挨拶をした。まあまず落ち着け、と言外に示された気分だ。相変わらずやりにくいことこの上ない。
「どうしたんだ?」
もう一度、そう繰り返した彼の表情は穏やかだった。ひどく癪に障る。不知火は、額の汗を乱暴に拭った。落ち着け、頭を冷やせと、すぐ後ろから聞こえる。あの、自分の声だ。また昨日と同じ目にあうぞと警告は続いた。
「その……ですね」
『不知火の醜態を言い広めるのは流石にやりすぎではないか』、『昨日どうしてあんな懲罰方法をとったのか』など、言いたい事は山ほどあったが、どれを選んで口に出せばいいのか分からなかった。失敗したら、また酷い目にあう。そんな予感があった。爆弾をつきつけられて、さあ好きな線を切って解体しろ、と言われた気分だ。ばくばくと心臓が脈をうち、破裂してしまいそう。考え無しに司令に文句を言おうとしたことを、激しく後悔した。また、目眩に襲われる。口を開いては閉じ。もごもごさせて、ようやく絞り出した。

「き、昨日は、申し訳ありませんでした」

司令官の顔に、皺が寄る。片目を閉じ、ゆっくり顎に手を当てて、考える仕草をとる。
蒸し返すべきでなかったか、失敗したか。次の処遇を考えてるのか。重たい沈黙をそう解釈して、不知火は胴震いした。今すぐ頭を下げて、許しを請うべきだろうか。いや、そうするべきに違いない。
ところが、戦々恐々と身構える不知火に投げられたのは、思いもよらない言葉だった。

「昨日? 昨日、不知火が何かしたか?」

一瞬、何を言っているのか理解できなかった。額面通りの意味に捉えていいのか、あるいはあてこすりか、悩む。そんな胸の内を知ってか知らずか、彼はさらに言う。
「酔っ払っていたせいで、生憎昨晩の事は覚えていなくてな。情けないことに、今も二日酔いで頭がズキズキする。……不知火が何をしたかは知らないが、そんな気にしないでくれ。それにしても」
わざわざ謝りにくるなんて、相変わらず真面目なことこの上ないな、と彼は結んだ。皮肉を言っているようでもなく、また彼がその類を言うような性格ではないことも、不知火は知っていた。
「ま、待ってください! それでは、昨晩の懲罰は!?」
「懲罰? なんだそれは?」
「で、でも! 会う艦娘たちは昨晩不知火が受けた処遇を、知っている様子でしたが!」
「だから、その処遇を、おれは知らないんだ」

いや、だから、工廠で。そう言いかけて、口を閉じる。後ろで、「恐縮です、失礼しました」という言葉が聞こえたからだ。青葉の声だった。そそくさと部屋から出ると、廊下を走り去っていくのが分かる。 それから不知火は、執務机の端に、新聞が置かれていることに気がついた。司令官に尋ねると、青葉が置いていったものらしい。あいつは文章を書くのが上手いし、何やら特ダネを仕込んできたと言っていたから、仕事を終えて読むのが楽しみだ、と。
「ちょっといいですか」

司令から許可が出るのを待たず、新聞に手を伸ばす。開く。自分の泣き顔がでかでかと載せられている。破り捨てる。

「あぁー! まだ読んでないのに!」
「読まなくて正解でしたね、また司令を殴らずに済みました」
「え、な、殴る?」
「さて、それはそうと、不知火には急用ができたため、お暇させて頂きます。本日もお勤め頑張ってくださいね。それでは失礼します」
司令の発言を無視してそう言い切ると、ばきりと指の骨を鳴らした。彼に背を向け、執務室から去ろうとする。
「あぁ、そうだ不知火! ちょっと待ってくれ、忘れないうちに」
邪魔をするかのごとく不知火を呼び止めた司令に、嫌な顔をする。まあまあ、すぐ済むから、と彼は机の下に手を伸ばした。
「何でしょうか。不知火はこれから、すばらしい朝の訓練を行わなければならないのでさっさとして頂きたいのですが。ああ早く行きたい、行きたいです」
「まあ待てって。そういえば、昨日お土産を買ってきてな! 酔っ払った勢いで皆にに配っちまったから不知火にはあげられないなーと思ってたんだけど、なんだか夕張がとっといてくれたみたいでな。ほら、このジュース。不知火って果物から搾ったもので。おまえと同じ名前で、面白いだろう?」

どんと、ボトルが机の上に置かれる。次の瞬間には、彼の顔面に不知火の拳がめり込んでいた。

「馬鹿ッ!」

椅子ごと司令が後ろに倒れる。彼の後ろにあった鏡に、自分の顔が映った。熟れたりんごのように真っ赤だった。

それからすぐに、不知火は執務室の扉を粉砕して、廊下へ飛び出した。遠くに聞こえる青葉の息づかいを把握して、その方向に全力で走る。 廊下の先から「恐ろしい面なのです」と誰かのぼやきが聞こえた。見やると、電の側で暁が泡を吹いて腰を抜かしている。響がハラショーと口を動かす。構わず、横を駆け抜けた。
廊下の角を曲がったところで、青葉の姿を捉えた。陽炎に新聞を渡している。青葉はこちらに気付いた様子で、「あぁ、しまった!」と言うや否や、急いで逃げ出す。
「陽炎! その新聞を渡してください!」
「え?」
通り過ぎる際に、呆然と立つ陽炎から新聞を奪い取って、破り捨てる。
「えぇ!?」

彼女の声を背に、不知火は加速する。顔を真っ青にした青葉がわめく。

「だって! 青葉は泣き顔を撮りたかっただけで! 夕張さんがあそこまでするとは思ってませんでしたもん! 提督のために、ちょっとお灸を据えてやってくださいよ、って言っただけですもん! あ、ちょっ、ちょっと! どこからそんな物騒なもの出したんですか! 撃つのはずるいでしょう!」

自分らしくないと思いながらも、不知火は叫ばずにはいられない。

「沈めっ!」

……この騒動で、鎮守府の3分の1以上が倒壊し、当事者である青葉、夕張、そして不知火は、きつーいお仕置きを受けることになるのだが。それはまた、別の話だ。

おしまい。
  1. 2015/09/21(月) 14:31:30|
  2. 平面化
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